高島平の概要 <画像をクリックすると、大きく見られます>

位置

 東京の北西部にある板橋区。その北端に位置する「高島平」。
 荒川を挟んで、埼玉県戸田市、和光市に隣接する。
 街の中央に都営三田線が走り、終着駅「西高島平」から 「新高島平」「高島平」「西台」の4駅が地域内にある。
 都心まで約25キロ、三田線で30〜40分で行ける。


高島秋帆肖像(松月院蔵)

高島四郎太夫
砲術稽古業見分之図(部分)
(板橋区立郷土資料館蔵)

成り立ち

 縄文、弥生時代から荒川流域の肥沃な土地として、人々の暮らしが始められていた。
 その証は高島平各所で遺跡が発見され、貴重な歴史の資料を提供している。
 江戸時代は荒涼とした草原といわれ、将軍の鷹狩り場として使われた。
 江戸時代後期には砲術場として使われ、天保12年(1841)、 長崎の有力な西洋砲術家であった高島四郎太夫秋帆が呼び寄せられ、 この地で大掛かりな大砲の調練が行われた。
 のちに「高島平」の地名がつけられたのは、この高島秋帆の名前からとられた。
 明治の初期、政府から民間に払い下げられた土地は、農民達の手によって田圃や畑となり、 農業が全盛となる。
 昭和30年代までは東京の穀倉といわれ、一面に田圃の広がる土地だった。
 昭和40年代になって日本住宅公団が330万平方メートル(約100万坪)の大規模な土地区画整理事業を行い、昭和47年(1972年)、約1万戸という高島平団地を中心とする新しい街をつくった。  街がつくられてから38年がたち、東京のベッドタウンとして成熟した。

ページトップへ戻る

町のようす <画像をクリックすると、大きく見られます>


成り立ち

 面積、3,328,877平方メートル(高島平のみ)。
 人口約5万6000人、3万世帯。
 地方に行けば市に匹敵する一区画。
 新興住宅地として急速な発展を続けてきたが、平成4年(1992年)の約6万6000人の人口ピークを境に、全国に先がけるように少子・高齢化が徐々に進み、6万人を下回る状況になった。
(別表参照)
 地域内には約800の法人が存在し、商店数も約850店を数える

ページトップへ戻る

高島平地域の丁目別世帯数・人口

高島平地域の丁目別世帯数・人口(R5.6.1)
町丁別 世帯数 人 口
高島平 1丁目 5,106 8,643
高島平 2丁目 8,498 12,691
高島平 3丁目 2,914 5,298
高島平 4丁目 1,016 2,025
高島平 5丁目 1,876 3,424
高島平 6丁目 50 50
高島平 7丁目 3,113 4,974
高島平 8丁目 2,268 3,815
高島平 9丁目 5,000 8,578
高島平小計 29,841 49,498
新河岸 1丁目 1,134 2,356
新河岸 2丁目 1,225 2,016
新河岸 3丁目 473 754
新河岸小計 2,832 5,126
三 園 2丁目 633 1,093
高島平地域計 33,306 55,717
ページトップへ戻る