会社概要

高島平新聞
会社名 株式会社 高島平新聞社
代表 代表取締役 村奈嘉 高英
編集局所在地 〒175-0082
東京都板橋区高島平2−33−4−109
電話 03−3936−1634
FAX 03−3936−1314
E-mail shinbun@takashimadaira.co.jp
創業年月日 昭和47年(1972) 5月1日
法人設立日 昭和57年(1982) 7月15日
資本金 1,000万円
従業員 10名(他に、配布要員20名)
事業内容 1.新聞・出版業
2.広告業
3.情報サービス業
4.ニュース供給業
5.損害保険代理業
6.全各号に付帯する一切の業務

※ 1.
主たる刊行物である『高島平新聞』は、月刊(毎月15日発行)で、
高島平地域を中心に22,500部発行(2016.1 現在)。
創刊号以来、地域唯一の情報紙として、44年の実績と信頼を得ている。

※ 2.
年1回刊行の『高島平べんり帳』は、日々の暮らしに重宝な冊子で、
30,000部を発行、地域の97%をカバーしている。
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高島平新聞とは・・・


創刊号の写真
創刊号の団地新聞・高島平

高島平新聞とは・・・

昭和47年(1972)、東京の北西部に突如出現した高島平団地。
 東洋一のマンモス団地、という鳴り物入りで建てられたにもかかわらず、どこに行けば何が売っているのかさえわからない。
 たばこ1つ買うのにも苦労している住民。1年足らずの間に一挙に3万人が住む街に。住民は戸惑った。 小紙・村中義雄現会長は、立ちあがった。
 新聞作りのノウハウは知っていた。 「ハードを公団が造ったのなら、ソフトは私が創る」と、 高島平団地住民むけの情報紙を創ることを決心。 昭和47年5月20日、高島平新聞の前身「団地新聞・高島平」を創刊。 タブロイド判4ページ、チラシのような新聞ではあったが、記念すべき第1号。

 その後、団地を中心として街ができ「高島平新聞」へと題号を変更。
 取材エリアを広げ、発行部数も伸び「頑張って、いい新聞創っているね」 とNTTタウン誌大賞・奨励賞を受賞。
 賞金で一杯飲んで大騒ぎして喜んだ。 ご褒美に編集長からスタッフに金貨が1枚ずつプレゼントされた。
 平成14年創刊30年を通過。「街の元気を応援します!」がコンセプト。
 この人知ってる、を大切に地元密着がモットー。 高島平地域の地元情報満載。 街にとってはなくてはならない存在に。 カラー印刷も始めた。
 現在、タブロイド16ページが建ページで、22,500部、 地域世帯の75%に当たる新聞が配布されている。
 2016年1月号で創刊44周年、547号。

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スタッフ紹介

村中 義雄  (巳年、さそり座)
ホットウーロンハイをあおりながら,“我が街”を語ることをこよなく愛す。
専門紙でたたきあげた記者。 アナログ人間。
代表取締役 村奈嘉 高英
営業部長兼任
高島平生まれの高島平育ち。元商社マン。
剣道五段、杖道初段。
大学時代は体育会剣道部の主将を務めた体育会系。
《鈴木 孝美》
・優しさと強さを合わせ持つ、面倒見の良い姉御肌。
 明るい笑顔と幅広い知識の持ち主で、取材先にもファンが多い。
 仕事もさることながら、華麗なタンバリン振りにも惚れてしまう。
 おひつじ座、A型。
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マスコミに掲載

2016年4月6日
東京新聞
団地再生へ高島平新聞奮闘記
2016年1月1日
The Japan Times
・ Japan's population dilemma, in a single-occupancy nutshell
・ Answers to population woes elude
2014年12月
日経ヴェリタス 354号
歩くヴェリタス 東京・高島平へ(2ページ)
2013年3月3日
日刊スポーツ
地元愛で40年 高島平新聞
2013年1月7日
朝日新聞
巨大団地 わが故郷
2011年2月16日
新潟日報
高島平団地 故郷の衰退に一念発起
2011年2月7日
高知新聞
<高齢化する東京・高島平団地> 衰退の故郷を助けたい
2011年1月28日
中国新聞
<東京都の高島平団地> 老いる「町」新聞が力
2009年12月17日
読売新聞
<高島平団地> 活性化 知恵を集結
2007年12月8日
日経新聞
<高島平で大東大> 団地再生に大学の知恵
2005年11月10日
日経新聞
世代交代、どう進める
2004年11月22日〜27日
朝日新聞
高島平コラム
2004年7月27日
住宅新報
<大規模団地> 街づくりに新発想を
2004年2月17日
住宅新報
月間タウン紙「高島平新聞」通算400号突破
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